というわけで、しばらく仕事で被災地に来ている。
正月休みの最終日、仙台で買った中古車を走らせて釜石まで行った。三陸道で登米に出て、南三陸町の志津川から沿岸部に入り、歌津、気仙沼、陸前高田、大船渡を通り、釜石に向かった。
色々と寄り道をしていたから、釜石についたときには日が暮れてしまっていた。
相変わらず、仙台から石巻に向かう三陸道は無料化の影響で混んでいた。登米から志津川に向かう道は、本当にのどかな山村の道だった。しかし海が近づくと、突然に、津波によってすべてが流され、真っ茶色になった荒れ地が広がる。がれきは大体片付けられており、今は家の基礎工事の跡が続く。
がれきの山が海岸に広がる。防災無線を流し続け、多くの職員の命が失われた防災対策庁舎を過ぎる。リアス海岸の曲がりくねった道を進む。沿岸の集落は、だいたいが、何もない茶色い大地が広がる。巨大な津波が集落の一番端まで襲った。所々に仮説のプレハブでできたコンビニがある。店にはいってみると、正月用の贈答品のクッキーをそろえている。
気仙沼で車を降り、プレハブで出来た商店街で昼飯を食べる。正月なのにそれなりの人手だ。気仙沼ホルモン丼を食べる。あまりおいしくない。被災地のB級グルメは「石巻やきそば」もそうだが、イマイチである。やはり三陸は海産物でないといけない。
火災も発生し、家の残骸しか残っていない気仙沼の鹿折地区を走らせる。港から流され陸の上に取り残された巨大なサンマ漁船「第18共徳丸」の前では、家族づれの見物客がいた。「おもかじを切ったまま、陸の上に乗り上げたんだね」と、船の後ろのスクリューや舵を見ながら、父親が家族に色々と解説をしている。
さらに北へ向かう。陸前高田は街全体が荒れ地になってしまっている。海辺に一本だけ松が残っている。有名な一本松だ。立ち枯れになるのは時間の問題だそうだ。おそらく来年か再来年には見れなくなるだろう。記念撮影をする人がひっきりなしに訪れる。大船渡のセメント工場は、壁やパイプが未だにボロボロになっている。それでもうなりをあげて操業している。
被災地に来たのは11月末。それまではテレビや写真でしか見たことのない風景を実際に目にすることになった。
街を覆っていたがれきもおおむね片付いた。被災者も仮設住宅に住んでいる。
原発周辺を除けば、地震から9ヵ月経ち、ようやく一息ついた感じだ。いよいよ復興という状態だ。
しかし問題は、どういった街を作ればいいのか、どういった仕事を新たに生めばいいか、である。被災地は復興後の青写真を作れない。津波で流され、更地になったふるさとをどうすればいいのか。大きな絵を誰も描けない。その中で、時間だけが経っていく。補助金の申請の締切だけが粛々と近づく。
東京を離れる前、信頼しているエコノミストと一緒に赤坂でメシを食いながら、ある評論家について「彼はもう終わコン(終わったコンテンツ)だよね」という話題で盛り上がった。
その評論家は日本の雇用制度について鋭く切り込む論者だった。日本企業の特徴である終身雇用や年功序列について厳しく批判し、こういった雇用慣行が若者の格差を拡大させ、日本経済全体の活力を失わせていると主張した。あるいは非正規社員が安い給与で苦しんで働いていたり、大学生が就職活動で理不尽な目に遭うのは、高い給料だけもらって何もしない中高年層、すなわちノンワーキングリッチが問題だと述べた。
世代間格差の是正には終身雇用と年功序列を早期に打破すべきだというのが日本経済再生のカルテだった。
では、日本型雇用はどうなったか。ここ10年で賃金の年功序列は相当なくなった。40歳までは順調に賃金が上がるが、それ以上は頭打ちである。先日、会社の給与明細システムに上手くログインできないと40歳代半ばの上司に言われ、パソコンの使い方を説明する中で、つい給与明細をちらっと見てしまったわけだが、給料は僕がもらっている額に少し足したくらいだった。衝撃だった。別に僕の会社のことだけではない。賃金構造基本調査を見れば、賃金カーブのフラット化はずっと進んでいる。30歳代半ばで賃金はおおむね伸びきる。
では終身雇用はどうか。これはまだストイックに守られている。一度会社に入ればクビにはなりにくいことが判例法で確立されている(※)。前述の評論家は「使えない中年はもっとクビにされるべきだし、終身雇用なんて制度は幻想である」と述べる。
その主張は僕も非常に賛同していた。でも一方で、生涯を通じた人的資本の蓄積はどうすればいいのかについては、誰もいい案がない。
確かに単純に見ると、会社に長くいればいるほど、くだらないしがらみが多くなるように見える。しかし、自分には認識しづらい、能力の向上や技術の蓄積がある。そしてその蓄積が実は組織全体の生産性に大きく寄与している面は大きい。
終身雇用が崩壊することは結構なことである。では、どのようにして今まで培ってきた人的資本の蓄積システムを継続するのか。それについては誰も教えてくれない。当の評論家もあまり興味が無いようである。
実際のところ、終身雇用は労働者側の要請だけでなく、むしろ使用者側、すなわち企業側のニーズも強かった(詳しくは濱口桂一郎『日本の雇用と労働法』)。企業特有の技能を長い時間かけて学ぶことが組織の高いパフォーマンスにつながっていたわけだ。事実、使用者側もコア人材については未だに、終身雇用を前提にしている(コア人材、というのがミソなのだが……)。終身雇用は時間をかけて緩やかに解体されていくだろう。でも、ある日突然に、ということはない。仕事というのはそんなに単純なものではない。
その中で、新しい働き方やスキルの磨き方についてどういうモデルを描くのか。終身雇用と年功序列が『崩壊』した後でどういった働き方を考えるのか。特段それを提示しないまま、時代遅れな感じのところに向かって「既得権益だ」と指弾しても何の解決にもならない。まあ、そういう話は20〜30歳代の若者のルサンチマンには最適なので別に良いのだが、みんなそろそろそういうのに飽きてきたんじゃないかな。そんなわけで「奴は終わコン」ということで話が一致した。
それはまた、深い自省を促す話でもある。
先日、自分の会社の経営陣に会う機会があった。諸般の事情で与太話をする機会があった。
せっかくの機会だったが、経営企画室の人に「まつおさんはどう感じますか」なんて話を振られて、久しぶりにアタマが真っ白になった。何を言うべきか、本当に何も思いつかなかったのだ。
経営陣は「環境の厳しさ」「競争の激しさ」「グローバル化」など、色々な話題を語っていた。それはずいぶん前から話題になっていたことだ。それらの話題は僕もそれなりに知っていた。むしろ経営陣よりも自分たちの方が危機感に溢れているとさえ思っていた。
しかし、実際に話を振られると、何を言っていいのか思いつかなかった。危機感はいくらでも持っている。じゃあその中でどうすればいいのかについて、実際のところ何も考えが及ばないのだ。「厳しい経営環境」に対する当事者の対処方針について、そのグロテスクさについてはいくらでも嗤うことができるが、それだけでは会話が成り立たないのだ。
本当にせっかくの機会だったが、無力感のまま終わった。それは経営陣に対するものではなく、自分自身に対してであった。
どうすればいいのかについては何も思いつかないのだ。
「日本はこれから大丈夫なのでしょうか」と僕の周囲のインテリ風情の友人達はよく言う。年賀状でも毎年一人は書いてくる。
問われる度に「全然大丈夫でしょう。楽勝でしょう」と答えている。無駄な危機感は有害だという僕の信念の吐露である。つまるところ、「ああ大変だ」と騒いでいるだけは何の役にも立たない。何か少しでも、解決に向けた動きをしなければならない。日本がこれから大丈夫なようにしなければならないし、まあみんなすると思うんだけど、それをきちんと自分自身もしなければならないということなのだ。
では何をするのか。そこではたと立ち止まってしまう。
確かに壊れるべきものは壊れた。変わるべきものは変わった。「まだまだ全然足りない」という意見もあるかもしれないが、それでも、1990年代の頃に比べればおそらく2010年代は全然違う世の中じゃないかと思う。バブルとかデフレとかで色々惑わされてしまうが、世の中の意志決定の仕組みや権力構造が、劇的にフラットでオープンになったんじゃないかとおもう。相変わらずの主張で申し訳ないが、僕らは着実に進化しているのだ。
そして、壊れるべきものは壊れ、変わるべきものは変わった後で、何を描くのか。僕らはひょっとして、真っ白なカンバスを前にして自らの想像力の乏しさに身もだえしているのではないのかと思う。何を描くべきなのか全く思いつかない。それをうまいぐあいに他の本質的ではない何かのせいにしているのではないかと思うのだ。
たとえばそれは「まだ改革は進んでいない」であるとか「まだ壊すべきものが壊れていない」であるとか、そういう言説で世の中に出てくる。
それはそうかもしれない。でも、それ以上に重要なこと、それは新しい絵をいかに描くかではないのか。それはまるで、津波で全てが流された後に、どういう街を作るのかに似ている。
それでも日々は流れる。時と共に街は新たに生まれ変わる。
5年後の被災地を夢想する。新しい産業が芽生える街もあるだろう。その土地が生み出すものをうまく活用する街もあるだろう。一方で、新しいビルが立ち並ぶけれどシャッター通りのままの街もあるだろう。産業もなにもない、行き場をなくした老人が行き来するだけの街もあるだろう。その選択は地域住民一人一人にかかっている。民主主義は、残酷である。
そしてまた、結局、被災地ではないところであっても、壊れた後、壊した後に何を作るかは、僕自身にかかっている問題である。壊すべきものがある程度壊れた後で、その後で何を作るのか。
当初、年頭所感では、被災地の凄惨な姿を前に「言葉は無力だ」というようなことをつべこべ言おうとした。だけれども、山形浩生さんの以下の文章を読んで、そんな無責任なことを言ってはいけないと猛省した。
清水アリカが、去年の震災とその後の原発騒動を見たら、何と言っただろう……と夢想するのは多少はおもしろいが、実際には何も言えなかっただろう。ぼくたちは、震災後に何か意味のあることを言おうとして、まったく無内容なざれごとしか言えなかった「思想家」だの「批評家」たちをたくさん見てきた。それは清水アリカの世代の人々に限らず、あらゆる世代に見られた現象なのだけれど。意味があることを言えたのは、現場を持ち、社会と文化の意味を信じてその中で継続的に活動してきた人々だけだった。
(http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120106)
あえて言おう。まんをじして、いよいよ我々の世代が時代の表舞台に出てくる時代になってくる。
更地に何を建てるのか。意味のあることをどう言うか。
その重責に、身震いがする。
(※)ただ、先般のJAL再建に伴い解雇された従業員がJALを相手取り不当解雇の裁判を起こしている。この判決如何によっては、今までの判例法が覆るかもしれないと言われている。すなわち、整理解雇には今まで4つの要件が必要とされていたが、逆に「そこまで厳格である必要は無い」という判断になるかもしれない、ということである。もちろん「もっと厳格であるべき」という判断が下される可能性もある。
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